webマガジン「ミロクル通信」 「過剰な人々」をめぐるささやかな冒険。

「過剰な人々」をめぐるささやかな冒険

『過剰な人々』を巡るささやかな冒険 Vol.10(最終回)

井上ひさし『きらめく星座』


宅間孝行(東京セレソンデラックス)×坂口真人(演劇ぶっく)

昭和15年、太平洋戦争が始まる1年前の冬。長男が脱走兵になってしまった、浅草の裏通りにある小さなレコード店「オデオン堂」の心優しき家族たちが、時代の大きな波に翻弄され追い詰められていきます。当時のエピソードや流行歌などをふんだんに盛り込みつつ、下町の片隅でつつましく暮らす家族の生き様(よう)から、大きな世界の矛盾を照射してみせる、井上ひさし渾身の傑作です。

リアルな方向から遊んでいる感じ

坂口 今回はいかがでしたか?
宅間 人間関係とかリアルな方向から入って遊んでる感じがしますが、それにしては登場人物が少ないのがちょっと気になるんですよね。要するに人の出入りが、決まった人しか出てこない。それは芝居としてはしょうがないんですけど、ここにいる家族(夫婦と娘と同居人2人)と、憲兵の権藤と脱走兵の正一君と、その人たちしかいないじゃないですか。それが芝居っぽくならないためにどうしたらいいのかと思っちゃうところではありますけど。もうちょっと、そのシーンだけ出てくる人がいたりとかした方がよいのかなと。みんなが均等に出て、という感じがするので。すこし昔の芝居っぽいかなとも思いますけど。
坂口 昔の芝居っぽい?
宅間 始めにある竹田の一人台詞を読んで、始まっちゃったと思ったんですけど、その後わりと会話が説明的なものではなかったんで、一気に好感をもって引き込まれたんです。ギャグのつくり方とか、人や物を隠す・隠さないとか、キャラ設定もそうですけど。傷痍軍人の源次郎や、あとは憲兵の権藤さんとか。源次郎さんはおいしいところですよね。嫌なやつなのかと思うと、後半キャラクターがどんどん魅力的になっていきますから。
坂口 井上さんの見せ所でもあるんでしょうね。宅間さんが言っているのは、傷痍軍人でガチガチの愛国主義者だった人が、周りの人との関係で矛盾にいろいろ気付いてきて、だんだん考え方が変わってくるというところですよね。権藤も憲兵だからきつい役柄だと思うんですけど、妙に人情味があったりして上手なつくりだと思います。

一歩間違うと説教くさくなる。

宅間 井上さんのやり方ですけど、悪役つくらないじゃないですか。そういうのも作品の世界観になってるんでしょうね。
坂口 そうだと思います。先ほどの広告文案家の竹田は井上さんのある意味分身だと思うんですけど。コピーライターですよね。最後の方でみさをが妊娠してその途中で揉め事があるじゃないですか。「こんなひどい世の中ではこども生んでもしょうがない」みたいな話をして。あのあとの竹田の長台詞がありますよね。
宅間 生まれてくることに意味があるんだみたいなところですよね。
坂口 「地球が誕生したのも奇跡で、その地球に小さな命が誕生して、限りない試練を経て人間にまで至ったのも奇跡の連続で〜」というくだりですね。聞かせどころだと思うんです。
宅間 一歩間違うと説教臭くなりますけどね。
坂口 それは役者次第だと思います。そこは緊迫した場面であのへんからラストまでいく流れはおもしろい。
宅間 このお芝居って、ここで起こってる以外の所からドラマを持ってきているんで、読んでるほうが理解度が高いかもしれない。逆に言うと、演出家と役者の腕次第だと思うんです。外での話がすごく多いじゃないですか。正一がもってくるのは全部彼が体験した外での話だし、源次郎の病院の話でも。イメージさせるものが、彼らの言葉意外に何もないとこでドラマをつくっていて、ここでドラマが動くということではないから。
坂口 陸軍病院に慰問に行ったらこんなことがあったよとか、逃亡中にこんなところに行ったよとかですね。
宅間 サメ皮の靴がすぐ破れてしまうという話もそうです。僕の場合だったら靴屋を出すんですよ。お客さんの目の前で源次郎と靴屋がケンカしないと。ケンカを見るとお客さんてその感情の何かを見るんですけど。これだと、なんかテンション落ちてるところに戻ってきちゃう感じがして。怒る瞬間だったり、何を見て怒って、何にカチンと来て、何を見て喜んでというのが伝わりづらい。

つつましく幸せな歌が、悲惨な出来事の序曲に。

坂口 このお芝居のもうひとつのポイントは音楽ですね。
宅間 井上さんてずっとこのスタイルなんですね。音楽劇。
坂口 なんですけど、最初の頃はある音楽に別の歌詞をつけていたりする時期もあって、こんなにど真ん中に当時の流行歌を入れたのはそうはないと思います。
宅間 いつもご自分で歌つくって、曲をあてて。
坂口 替え歌みたいな。これは本当にその時期の人が歌ってたものだからリアリティがありますよね。オデオン堂の主人信吉と、あとから後妻できたふじとの関係もよくないですか。
宅間 けっこうなおじさんと若い女優さんという組み合わせなんでしょうけど。
坂口 かわいらしいエピソードだと思うんです。
宅間 最後の落としどころがお上手だなあと思いました。明日から戦争に行くという若者に、
自分が歌手をやめたきっかけになったライバルの歌だからよく覚えてますと、本人が歌って差し上げるという。
坂口 その曲たるや、希望に満ちた、つつましい幸せに満ちた曲じゃないですか。それを最後にもってくるところなんか、なかなか。オデオン堂が立ち退きにあって、ここでみんな別れ別れになって行き先で悲惨な結末が待っていそうじゃないですか。兵隊に行く若者はかなりの確率で死ぬだろうし。ご主人と奥さんは、奥さんの実家がある長崎に行くんですよね。そこには五年後に原爆が落ちます。竹田くんも開拓村の小学校の教師として満州に行くわけですね。終戦ではたして生きて帰ってこれるかという状況です。みんながとてもあぶない所にいく。それは井上さんはもちろん、僕らもわかってる。でもこういう結末にして。明るく慎ましい内容の「青空」という歌で終わっていくというのは素敵なドラマのつくりじゃないかなと思うんです。
宅間 そう思います。戦争というものは僕らはあまりよくわかってないのと、感覚ではものすごく感情移入しやすいアイテムなんで。物語としてはずるいですね。なんでもありだから。すべてを凌駕しちゃうというか。どんなハッピーな話でも、泣ける話もつくれる。それぐらい戦争というのは巨大だし。

小さな家族の話から世界の矛盾をみせる


坂口 だからこそ浅草の片隅で暮らす、小さいお店の中だけで話を完結したかったのかなと。家族だけの話の中で大きな世界の矛盾を見せたかったのかなと思います。
宅間 戦争を経験している人と、していない人で大きな違いはあるでしょうね。それをこうやって笑いにしているのは素晴らしいですよね。ユーモアがあるし。
坂口 戦争の話ってたいがいきつい話になっちゃうけど、とても見やすくて、受け止めやすい芝居にしていると思います。
宅間 切ないつくりにするよりはこっちのほうがいいような気がしますね。一個一個のデティールがおもしろかったです。くだらないことの積み重ねで、恩賜の煙草をどうやって隠すとか、やっと手に入れた1個の卵をどうやって食うとか、竹田がつくった宣伝文案がどうとか。そういうことをいろいろみんなが話してたりする、ひとつひとつ、会話というかみんなの立ち位置がおもしろいですね。
坂口 なんとなく楽しみながら見れちゃうという感じが、ドラマそのものを深めているのがいいですね。


■連載にあたって

演劇史に名を残すような人は、必ず過剰なエネルギーの持ち主 です。そしてその人と、その時代にふさわしい(それがたとえ不幸な出会いであっても)出会いがあります。東京セレソンデラックスの宅間孝行と演劇ぶっく編集長の坂口真人が、その時代、人と作品のエネルギーを現代に蘇らせるべく、弥次郎兵衛、喜多八を気取って、時代を逆向けに演劇の世界に旅立ちます。


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宅間孝行・右(東京セレソンデラックス)
たくまたかゆき○70年東京都出身。97年「東京セレソン」旗揚げ(01年「東京セレソンデラックス」と改名)。主宰を務めると同時に座付作家・演出家・俳優も兼ねる。映画、テレビなど映像分野でも脚本、監督、俳優として活躍。劇団は今年いっぱいで解散する。

坂口真人・左(演劇ぶっく編集長)
さかぐちまさと○84年に演劇ぶっく社(現、株式会社えんぶ)を設立。雑誌「演劇ぶっく」を創刊、編集長に就任。以降ほぼ通年「演劇ぶっく」編集長を続けている。09年に演劇エンタテインメントサイト「演劇キック」を設立。

※この連載は演劇ぶっく139号(09/5発売)〜149号(11.1)にかけて掲載されたものです。

「過剰な人々」をめぐるささやかな冒険

『過剰な人々』を巡るささやかな冒険 Vol.9

ニール・サイモン『おかしな二人』


宅間孝行(東京セレソンデラックス)×坂口真人(演劇ぶっく)

1965年にブロードウェイで千回近い大当たりをとり、40年後の2005年にも再演して半年以上のロングラン公演をおこなっている、“ブロードウェイの喜劇王”ニールサイモン作の『おかしな二人』。彼の自伝のタイトルは『書いては書き直し』。そんな真摯な喜劇に迫りますが・・・。

ドラマというか、ほんとうにコメディ

坂口 今回はいかがでしたか。
宅間 この対談を始めてから、初めて過去に読んだことのある作品でした。10年以上前ですけど。ど真ん中のコメディじゃないですか。ドラマというよりか、本当にコメディ。話を見るに、どうも会話の妙みたいなことですよね。ドラマじゃない分、実は日本人には厳しいんじゃないかという気がしますが。笑いの土壌が違うじゃないですか。時代を超えた、異国のコメディはなかなか理解しがたいものがあるんじゃないかな、というのが率直なところです。
坂口 この作品は三幕のお芝居ですね。一幕目は5人の男がポーカーをやってます。アメリカ人は好きですね。テネシー・ウイリアムズにもありましたけど。仲間が集まってポーカーをやって、かみさんたちが文句を言うという。あれは1950年代。これは1965年だから、アメリカ人は延々としてポーカーをしてるんですね。
宅間 『桜の園』にも出てきせんでしたっけ?あれはカードかな。
坂口 カード遊びとかポーカーとか、日本人だとマージャンみたいなことですかね。ここに出てくるのはエリートの新聞記者二人とその友人たち。“おかしな二人”のうち、オスカーはスポーツ記者で離婚済み、ニューヨークの8部屋ある大きなアパート暮らし。もう一人は、その友人で新聞記者のフィリックス。離婚される途中で、もしかしたらそのショックで自殺しちゃうんじゃないかと(友人たちが過剰に心配して)てんやわんやになるのが一幕目。離婚というのが、当時のアメリカの大きな社会問題になっているようですね。そういうところでは当時としてはかなりのリアリティがあったのかな。そこでも笑わせている。

会話だけではない、アクション芝居

宅間 思ったよりけっこうベタですよね。
坂口 それはしょうがない。望むところというか。
宅間 ニール・サイモンって、洒落た会話というイメージがあるじゃないですか。洒落たというか、ベタですよね。フィリックスが死にそうという情報があって、彼がくるとみんながそのことを知らないフリをしようとするとか、まるっきりコントですね。
坂口 そのあと皆が帰って二人っきりになってからも圧倒的にコント。だからこそ力のある俳優がやらないと、もたない。
宅間 キャラクターはしっかりある。本で読むより芝居で観た方がおもしろいかもしれない。まあコメディってそういうものだけど。俳優の佇まいみたいなものもあるし。そういう受け方がありますね。
坂口 オスカーの部屋に同居したフィリックスはあまりにもキレイ好きで、オスカーが嫌気がさしてくる。そんなことをしているうちに同じアパートに住んでいる二人の妙齢のイギリス人姉妹を連れてこようという話になりますよね。あの辺から違った盛り上がりを見せると思います。ちょっと会話が複雑になっておもしろいんじゃないですか。
宅間 設定としてはベタですからね。女をどうにかしたいと思ってるやつと、どうでもいいと思ってるやつに振り回されて、しかも結局はこいつがモテちゃう。それほどびっくりするような展開じゃないけど、きちんとそういう逆の構造になっているなと。
坂口 しかもけっこうアクションがある。癇癪を起こしてコーヒーカップを投げちゃったら腕が痛くて大騒ぎするとか、スパゲティ(実はリングイネで、このネタのやり取りは古典的傑作)を台所にぶちまけるとか。あれは僕らが読んでもちょっとおかしい。会話劇というだけじゃなくて、アクション芝居もあって。
宅間 ドタバタな感じですよね。
坂口 そのへんはOKなんですよね?
宅間 はい、全然。
坂口 他にポーカー仲間が4人いて、彼らが右往左往するというキャラクターもきっちり描かれているし。これは一応「ブロードウェイの喜劇王」と呼ばれているらしいから、それなりのものなんだと思いますが。
宅間 これは休憩入れて2時間くらいなんでしたっけ。短い感じがしたんです。ドラマがないからかな。1時間ぐらいの感覚なんですよね。

「芝居はまず登場人物から書き込むべし」

坂口 この戯曲を訳した方がニール・サイモンの創作上の持論を4つ書いてます。それに対して宅間さんのご意見を聞きたいと思います。一つ目は「芝居はまず登場人物から書き込むべし」。
宅間 それは芝居を見せる上でキャラクターを一番最初に提示しなさいということ?
坂口 そうなんでしょうね。
宅間 僕の芝居は大体いつも人数がけっこう出るんです。13、4人ベースで。最初の30分は基本的にドラマを立ち上げるためにも人物紹介なんです。もちろんドラマが止まっているわけではないですが。そこがうまくいくかどうかで芝居の8割を方左右します。僕は感情移入させてなんぼだと思ってるんで。お客さんってキャラクターにしか感情移入しないんですよね。だから一番最初がうまくいったものは何をやっても後半がラク。ただ人物紹介はものすごく無駄な時間と言うか。本当はなければないほうで進めていければその分ドラマに全部注ぎこめる。それをいかにドラマと並行し、キャラクターをお客さんに刷り込んで、状況と人物をどう紹介していくかということです。

「幕開き10分後には新しい展開を見せるべし」


坂口 二番目、「幕開き10分後には新しい展開を見せるべし」。
宅間 こういう考え方はなかったですけど、1時間はよく意識してますね。1時間で大体お客さんの集中が一回切れるんです。笑いなりなんなり、わりと大きな山場をつくるのはちょっとやってます。書いている時って1時間ってわからないんで、だいたい幕で考えるんですけど。ぼくは開始10分というより、なるべく早くドラマを立ち上げたいと思っていて。早く本題に入りたい。たとえば最初の10分はプロローグ。それから幕が変わっていく。大体僕の切ない話はプロローグが頭にくっつくんで、それの目安が大体10分にはしてます。そこからプラス20分でなるべく全員を紹介するというのがなんとなくの流れです。
坂口 ここまではニール・サイモンのセオリーにあんまり外れてないですね。別にあってたからいいというわけじゃないですけどね。

「設定した芝居の基調は守るべし」

坂口 次は「設定した芝居の基調は守るべし」。
宅間 それはどういうことなんですか。
坂口 喜劇だったのに途中で観念的な芝居になったりするのは困るねということだと思います。
宅間 これは演出家が一人でやってるんだったら大丈夫だと思うけど。基調ということでいえば、演出家が役者を統制しきれないとこういうことになりがちですけどね。いろんな人が集まってくるから、たとえば新劇の人と、テレビの芝居する人と、小劇場で勢いでどーんとやってる人と。各自、自分がどういう芝居をするかは自分で育んできたものがあるから。こっち側でルールを決めてあげないと、役者同士が全然違うところで育って来てるんで。

「喜劇を喜劇として扱うなかれ」

坂口 四つ目「喜劇を喜劇として扱うなかれ」。これは前々からいろんなところで話してますよね。
宅間 これは喜劇というか、芝居の質もそうですね。笑いを取りに行こうとする。おもしろくやろうとする。そうじゃなくて、真剣にやってることで、それがずれているんだから、それはすでにおかしいんです。役者がよく色気を出しますよね。大体狙いにいくとスベるんですよね。それをいかに当たり前のようにやれるかというのが大事。演出がそれをきちんとみてあげないと難しいですよね。僕なんかは、自分で演出して自分も出ちゃうと、誰が演出家かといったらお客さんなんですよ。だから本番やりながら調整していくんですよ(笑)。
坂口 では結論です。「ブロードウェイの喜劇王」と言っても大したことないと。
宅間 いや、大したことないなくはないけど(笑)。逆に言えばアメリカ人の空気をちゃんと読んでるから喜劇王と言われてて、当時のアメリカ人の空気を熟知してるということですよね。僕たちが乖離してても当然だという気はします。




■連載にあたって

演劇史に名を残すような人は、必ず過剰なエネルギーの持ち主 です。そしてその人と、その時代にふさわしい(それがたとえ不幸な出会いであっても)出会いがあります。東京セレソンデラックスの宅間孝行と演劇ぶっく編集長の坂口真人が、その時代、人と作品のエネルギーを現代に蘇らせるべく、弥次郎兵衛、喜多八を気取って、時代を逆向けに演劇の世界に旅立ちます。

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宅間孝行・右(東京セレソンデラックス)
たくまたかゆき○70年東京都出身。97年「東京セレソン」旗揚げ(01年「東京セレソンデラックス」と改名)。主宰を務めると同時に座付作家・演出家・俳優も兼ねる。映画、テレビなど映像分野でも脚本、監督、俳優として活躍。劇団は今年いっぱいで解散する。

坂口真人・左(演劇ぶっく編集長)
さかぐちまさと○84年に演劇ぶっく社(現、株式会社えんぶ)を設立。雑誌「演劇ぶっく」を創刊、編集長に就任。以降ほぼ通年「演劇ぶっく」編集長を続けている。09年に演劇エンタテインメントサイト「演劇キック」を設立。

※この連載は演劇ぶっく139号(09/5発売)〜149号(11.1)にかけて掲載されたものです。

[過剰な人々」をめぐるささやかな冒険

『過剰な人々』を巡るささやかな冒険 Vol.8

宅間孝行(東京セレソンデラックス)×坂口真人(演劇ぶっく)

ジャン・ジロドゥ『オンディーヌ』


今回は「究極の愛」を描いたジロドゥ演劇の最高傑作、と文庫本の裏表紙に書いてあった1939年にフランスで初演された『オンディーヌ』を選んでみました。美少女で「水の精」のオンディーヌと騎士ハンスの悲恋物語としてなんとなく知ってはいたのですが・・・。そんなことよりは、上等な書き物には常にあるユーモアと色気とエンターテイメント性、また故事来歴などがたくさん盛り込まれていて、当時のフランスに行って、フランス人になって観てみたい、と思ってしまいました。

ずいぶんにコメディなんだなと


坂口 今回は『オンディーヌ』です。宅間さんのつくってるお芝居とは距離があるものをと思って選びました。いかがですか。
宅間 演劇として見たときにどうかというのはちょっとおいといて、戯曲としてはかなり早い段階から引き込まれました。
坂口 そのこころは?
宅間 まず、オンディーヌのキャラクターですかね。キャラクターでだいぶもっているところがあると思いますね。そして、ずいぶんにコメディなんだなと。最初に騎士ハンスがやってきて、漁師のお父さんとお母さん(オンディーヌの養父母)とのやりとり、ああいうのはまるっきりコメディのかけあいだったんで、そこらへんからもだいぶ好感をもって読みました。くだらないこともけっこう言ってるし。そこにちょっとぶっとんだキャラクターのお姫さま(「水の精」オンディーヌ)が入ってくる。
坂口 オンディーヌが若くてかわいいというのがポイントですね。
宅間 そりゃそうでしょうね。すべてそれで許されているところがありますね。

「愛と誠」につうじるところがある

坂口 これって喜劇性というか、エンターテイメントというのをかなり意識してつくっていると思うんですよ。一幕目から話していくと、さっきおっしゃていたように、オンディーヌとハンスの出会いの前に、騎士のハンスがダダッと漁師の家にやってきて、オンディーヌを育てているおじいちゃんとおばあちゃんと話をするというところから始まります。そこのちぐはぐさ加減もおもしろいけど、ハンスとオンディーヌとの言葉のやりとり、好きになっていくことのへんてこりんさが上手にセリフになっているように感じましたが、そのへんはどうですか。
宅間 一番最初にオンディーヌの猛烈な一目惚れじゃないですか。これはすごいなと思って。ラストの結末をなんとなく知っていると。逆だったらわかるんだけど。
坂口 男が女に惚れちゃう、ということ?
宅間 これってちょっと梶原一騎の漫画『愛と誠』に通ずるところがあるような気がするんですけど。
坂口 (笑)。
宅間 女の人が勝手に好きになって、勝手に振り回して勝手に悲劇を呼び起こしている構造になっているから、一番最初にオンディーヌがそこまでそうしなければハンスにとって普通の人生を送れたのに、いいように出会い頭に交通事故にあっちゃったみたいな、それぐらいの強引さがあるような気がするんですけど。
坂口 そうですね。でも逆に言えば男としてはある分本望なんじゃないんですか。いい女に振り回されて、不幸な人生を送るというのはそんなに悪い人生じゃないんじゃないですか。
宅間 どうなのかな(笑)。その部分でいくと、オンディーヌは絶世の美少女で、だからといってハンスが一目惚れしてるわけじゃないじゃない。そこがポイントのような気がするんですよ。芝居の中では水の精で美しいとなってるんですけど、きれいだきれいだと言われてるのはハンスでしょ。ハンスが絶世の色男なわけですよね。そこに惚れられちゃって、好きだと言われて自分もなんとなく好きになっちゃって、でも(水の精たちの掟で)自分が違う人を好きになったら殺されちゃうみたいな(笑)、やっぱりそれってものすごい交通事故のような気がしません? 逆だったらわかりますけど。
坂口 でもハンスは最初に「待ちなさい」と、自分には婚約者がいるからダメだよというふうにストップをかけないわけですよね。オンディーヌが魅力的だから、ガンガン来るから、そこに男のダメさがあるんじゃないでしょうか。第一幕のハンスとオンディーヌの後半の会話がどれだけリアリティがあるか、お互いが好きになってしまう勢いが見せられるかで決まりますね。あとはハンスがずーっと最後までオロオロしてればいいわけですね。この話は、わりと起承転結がはっきりしていて、二幕目が焦点になると思うんですけど。その中でもさっき宅間さんがおっしゃってたようなユーモアがたくさん散りばめられていていますね。

時代をとばして観せる感じが・・・?


宅間 これは劇中劇というか、幕間の劇みたいなのを見せることで、ストーリーを展開していて。水の精の王が化けている奇術師みたいのがいて、そのへんのくだりがいまひとつ理解しきれてないような気がするんです。ハンスとベルタが…。
坂口 ベルタはハンスの最初の婚約者ですね。
宅間 オンディーヌと出会った後のハンスとベルタのスキャンダルを奇術師に見せられることによって、興味深く追っていくみたいなかたちじゃないですか。どういうことなのかなと思って。実は二人にはこんなことがあります、私がお見せしますと言って、奇術師が余興としてみんなに見せるじゃないですか。
坂口 ワープしていくみたいな感じですね、半年後とか10年後とか。
宅間 あまり仕掛けとしての効果がどういうことなのかよくわからない。
坂口 ずっと時代を追ってやっていくと、まどろっこしくてお芝居にならないという作者の判断ですかね。宅間さんも最初に最後シーンを見せたりとかいう仕掛けを使うじゃないですか。話は変わりますけど、一番最初に奇術師がいろんな奇術を見せるじゃないですか。沈んだ街を出したり、ピラミドやトロイの木馬とか、しまいにゃ全裸のビーナスとかまで出てくる。あそこがどうやらひとつの見ものだったらしいですね。
宅間 セットをガーンとみせる。
坂口 そうそう。今だったら映像で済んじゃうかもしれないけど、その大掛かりのセットがひとつの売りだったとか。
宅間 あれ、どういうことなのかなと思ったんですけど、本当に出すんですね。あれだけのために。
坂口 そうらしいですよ。
宅間 (笑)。

一度本物を観てみたい


坂口 三幕目にも、超自然の事件を扱う裁判官が出てきますよね。12、3世紀には魔女狩りとかあったから、実際あるとは思うんです。水の精と思って試しに水につけたら死んでしまったので、そいつは火の精だった。などというばかばかしい会話が進んで行く中で、でもだんだんある真実が見えてくるつくりにはなっている。最後抜き差しならない、予定調和と言えばそうなんですけど。上手にできてる戯曲だなと思います。
宅間 こういうの読むと、一度観てみたいなという気にはなりますね。向こうの人たちがやっている本物を観てみたいですね。
坂口 そうですね。一番いいのは自分がフランス人になって当時を観れればいいですけど。地元の故事来歴なども理解できて、おもしろいお芝居だと思いますね。 宅間 じゃなきゃ、こういうふうに残ってはいないんでしょうけどね。 坂口 宅間さん、これやるとしたら騎士ですね。 宅間 ハンス? 最初にきれいだと一目惚れされる人ですからね。そうじゃないんじゃないの(笑)。 坂口 そのくらいの無理はきくでしょ。 宅間 舞台だったらね(笑)。タッパあって、化粧すればね。 坂口 でも似合いそうな気がしません? やりたくない? 宅間 まあ特別(笑)……そうですね。これだったらオンディーヌですね、キャラクターとして魅力的なのは。女性役なので僕にはできませんが、ダントツにオンディーヌの役がおもしろいですよね。ハンスはおもしろい役じゃねーなと。 坂口 オンディーヌでほぼ決まるという感じですかね。
宅間 ハンスの最初の婚約者ベルタも相当おもしろいですけどね。 坂口 オンディーヌとは恋のライバルになるのですが、あまりイヤな女になっても困るし。 宅間 だからすごくおもしろいと思いますね。 坂口 これも女性なのでできませんね。男はあまり…。 宅間 オンディーヌがものすごい強烈な個性なんで、それに対抗していかなくちゃいけない。ハンスはねえ。 坂口 でもいろんな女に言い寄られてオタオタするというのは、おもしろいんじゃないですか。 宅間 おもしろいはおもしろいと思いますけど。 坂口 似合いそうですね。 宅間 そうですか。オタオタして?(笑) 坂口 たまにはそういう役もいいんじゃないでしょうか。 宅間 僕はやりたくない役なんてないんですけどね。


■連載にあたって

演劇史に名を残すような人は、必ず過剰なエネルギーの持ち主 です。そしてその人と、その時代にふさわしい(それがたとえ不幸な出会いであっても)出会いがあります。東京セレソンデラックスの宅間孝行と演劇ぶっく編集長の坂口真人が、その時代、人と作品のエネルギーを現代に蘇らせるべく、弥次郎兵衛、喜多八を気取って、時代を逆向けに演劇の世界に旅立ちます。


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宅間孝行・右(東京セレソンデラックス)
たくまたかゆき○70年東京都出身。97年「東京セレソン」旗揚げ(01年「東京セレソンデラックス」と改名)。主宰を務めると同時に座付作家・演出家・俳優も兼ねる。映画、テレビなど映像分野でも脚本、監督、俳優として活躍。劇団は今年いっぱいで解散する。

坂口真人・左(演劇ぶっく編集長)
さかぐちまさと○84年に演劇ぶっく社(現、株式会社えんぶ)を設立。雑誌「演劇ぶっく」を創刊、編集長に就任。以降ほぼ通年「演劇ぶっく」編集長を続けている。09年に演劇エンタテインメントサイト「演劇キック」を設立。

※この連載は演劇ぶっく139号(09/5発売)〜149号(11.1)にかけて掲載されたものです。

「過剰な人々」をめぐるささやかな冒険

『過剰な人々』を巡るささやかな冒険 Vol.7

宅間孝行(東京セレソンデラックス)×坂口真人(演劇ぶっく)

岸田國士『沢氏の二人娘』

今回は、岸田戯曲賞のタイトルで演劇界では有名な、そしてあまり知られてはいないかもしれませんが文学座の創立者の一人である岸田國士の『沢氏の二人娘』を取り上げてみました。この作品は戦時色が濃厚になってくる昭和10年に発表されたものです。一見軟派にみえるお話なのですが、作者の作品にかける思いはかなり硬派なものがあるようです(作品はHP「青空文庫」で読むことができますので、ぜひご一読を! 無料です)。

会話のニュアンスにおもしろさを感じた。

坂口 今回は岸田戯曲賞で有名な方の作品ですけど。印象はいかがですか。
宅間 あまり時代は感じませんでしたね。設定は戦前なのでそういう部分はありますけど。笑いとか、冗談に関しては今とあまり変わんないなと思って。最初の“沢家の応接間”のシーンで、沢家の家政婦(らく)とその娘(桃枝)の会話とかおもしろいなと思いました。

(編注:以下その会話の一部です)
桃枝  さうさう、伯父さんてばね、あたしみたいな娘、女学校へ通はせとくのは勿体ないんですつて……。
らく  ほんとだよ。
桃枝  少女歌劇へ出たら、さぞ人気が出るだらうつて云ふの。
らく  馬鹿だ、あの伯父さんは……。(以下略)

坂口 桃枝はこの時、唐突に水兵服を着て出てくるんですね。あとで、この家のものを勝手に着ていたらしいと、なんとなくわかるんですが。水兵服を着せて少女歌劇の話題って、その作家のたくらみ、ニュアンスがおもしろいですよね。
宅間 この戯曲は当時どういう位置づけをされていたんですか。
坂口 いわゆる“新劇”という。文字どおり新しいお芝居ですね。今まであったお芝居はダメだから、新しいスタイルのお芝居をつくりましょうというのが彼の主張ですね。
宅間 今までのスタイルというのは“切った張った”みたいなことですか。
坂口 ベースは歌舞伎ですが。この作品が書かれたのが昭和10年ですから、明治維新があって半世紀ぐらい経っている頃ですね。外国の影響を受けてみんなが新しいお芝居を始めて。彼はそれをも受け入れ方がダメだったと、否定している部分があります。彼は作品的、演劇的観点から言
実際にやると膨らんでいくような気がする。

坂口 これは三幕のお芝居ですね。最初から見て行くと、一幕目に沢氏の外交官時代の同僚で、現在は輸入商を営んでいる岩田という男が家を訪ねてきて、彼が触媒となって、タイトルにもなっている(父親の)沢氏と二人娘の関係がだんだん浮かび上がってくるという仕掛ですね。
宅間 実際にやると膨らんでいくような気がするので、これは戯曲ですけど、読み物というよりは台本という気がしますね。
坂口 彼は会話を大切にして、その中からあるニュアンスを伝えたいということなんでしょうね。
宅間 お父さん(沢氏)は狂言回しですよね。しかもおまぬけな設定になっているのがおもしろいなと。
坂口 全体を通して現代的だなと思うのは、男の人がほとんど情けなくまぬけな感じに書かれていて、女の人はわりとしっかりしていて自己主張がありますよね。

作品全体を通してセクシャルな雰囲気が流れている。

坂口 一幕目の終わりに亡くなった兄の友人で航海士の田所理吉から手紙が来る。で、二幕目になって彼が来ていて、次女の愛子と(集団で)ハイキングに行ってその晩セックスしちゃって、だから結婚したいという話がメインですね。
宅間 逆にこの時代だからびっくりしたんですけど。三幕目では長女の悦子が二股をかけて、それがバレて云々というのもあって、どうなんですかね。当時はこれを聞いて「そんな大胆なことしちゃったんだ」というお客さんの見え方なのか、「あらま」ぐらいな、今とそんなに変わらない感じなのかな。
坂口 この作品に描かれている家庭は普通よりは進んでいるとは思いますけど。
宅間 今でもちょっと「え?」と、やりすぎだろと思うようなこともあるので、この時代だともっととんでもない女に見えるのかなと。
坂口 表面的にはそうでしょうね。でも心の底ではどうなんでしょうね。この話も家政婦にきていた女性と雇った旦那さんができてる、というところから始まるわけで。この作品にはセクシュアルなニュアンスがずっと最初から最後まで流れてますよね。僕は少ししか彼の作品を読んでないんですが、どの作品にもある程度そういうニュアンスがあるみたいですね。
宅間 日常を描こうとしたら、そこのところは外せないですからね。

触媒的なキャラをたてて物語を進めるうまさ。

坂口 二幕目は田所という例の手紙をよこした航海士が来ていて、沢氏と死んだ息子の話を元気にしていています。一幕目とはガラッと雰囲気を変えてます。しかもこの田所も(一幕目の岩田も)触媒的な存在ですよね。娘とお父さんの関係をしっかり見せていくための人物。愛子と関係があったというドラマもあるけど、そのことによって娘やお父さんたちが意見をぶつけあうために出てくる役だから。雰囲気を変えつつ、ここでも上手な使い方をしているのかなと思いますね。
宅間 これをうちでやるとしたら、田所は絶対キャラもんになるんですよね。キャラ強いやつで、ものすごいデブとか。すごいガリ勉とか。とにかく笑えるキャラになって登場し、ギャグをやってると見せかけて、全部物語を進めて行く。岩田という輸入商のおじさんとかもそうですけど、この人たちはキャラを立てやすいような気がしますね。
坂口 そういうキャラを立てておいて、沢氏と二人の娘の関係をしっかりと見せていってるという作りが上手ですね。二幕目のラストで田所との話から発展していってケンカになって、次女の愛子が家から出て行っちゃって。三幕目は沢氏がアパートに引っ越してる。テンポもいいですよね。……どうですか。

うちでやるときはエピローグをつけないと。

宅間 いや、僕はこういうスタイルは好きで。うちでやろうとしているものに似てるんですけど、最後にこれだとうちのお客さんは許してくれない。僕は日常を切り取りたいというのが基本的にはあるんで、会話のつくり方も本当にあるであろうということ、説明的なことはとにかく外していきたくて、そういうなかでなるべくテンションの高い日常の瞬間を切り取って見せるようにしてるんです。どっちかって言うと、この作品はテンションが低いような気がするんですね。だから最初、ドラマが立ち上がってくるまでが頭に入ってきづらかったんです。ずっとお父さんと輸入商の人との会話が展開されていくんで。
坂口 そこまででほとんど背景をわからせちゃおうということですからね。でも最後が、遊びにきていた娘たちがアパートでケンカして帰ってしまって。お父さんが一人残って、パンの残りとチーズのかけらを食べながら、ト書きでは「ラジオの音楽がこの情景の底を皮肉に彩っている」と。たぶん、楽しげなラジオの音楽がかかっていて、彼がもそっとパンを食べながら幕が閉っていくというラストなんですよね。宅間さんだったらどうなんですか。
宅間 うちはベタな展開でいきますからね(笑)。
坂口 わかってやってますからね(笑)。彼は彼で別のそういう意識があるわけですよね、あまりラストで刺激をしない。それが逆に劇的で、当時としては洒落ていて目立った。
宅間 起承転結にしなかったってことですよね。僕だったらもう2年ぐらいしてお父ちゃんの通夜ですね、きっと。娘二人が何かしてるんじゃないですかね。来客として例の輸入商のおじさんが出てきて、「実は」と、その人たちからお父さんが娘をいかに思っていたか聞かされる、みたいな・・・。うちでやるときはこのエピローグくっつけないとお客さんが納得してくれない(笑)。

■連載にあたって

演劇史に名を残すような人は、必ず過剰なエネルギーの持ち主 です。そしてその人と、その時代にふさわしい(それがたとえ不幸な出会いであっても)出会いがあります。東京セレソンデラックスの宅間孝行と演劇ぶっく編集長の坂口真人が、その時代、人と作品のエネルギーを現代に蘇らせるべく、弥次郎兵衛、喜多八を気取って、時代を逆向けに演劇の世界に旅立ちます。


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宅間孝行・右(東京セレソンデラックス)
たくまたかゆき○70年東京都出身。97年「東京セレソン」旗揚げ(01年「東京セレソンデラックス」と改名)。主宰を務めると同時に座付作家・演出家・俳優も兼ねる。映画、テレビなど映像分野でも脚本、監督、俳優として活躍。劇団は今年いっぱいで解散する。

坂口真人・左(演劇ぶっく編集長)
さかぐちまさと○84年に演劇ぶっく社(現、株式会社えんぶ)を設立。雑誌「演劇ぶっく」を創刊、編集長に就任。以降ほぼ通年「演劇ぶっく」編集長を続けている。09年に演劇エンタテインメントサイト「演劇キック」を設立。

※この連載は演劇ぶっく139号(09/5発売)〜149号(11.1)にかけて掲載されたものです。

「過剰な人々」を巡るささやかな冒険

『過剰な人々』を巡るささやかな冒険 Vol.6

宅間孝行(東京セレソンDX)×坂口真人(演劇ぶっく編集長)


ソポクレス『オイディプス王』

『オイディプス王』はギリシャ悲劇の三大悲劇詩人といわれるソポクレスが2500年前に神話をもとにして書いた台本で、いまでも多くの国々で上演され続けている物語です。当時は、野外の半円形の劇場で一万人以上の観客を前に演じられていました。そんな遥か彼方の壮大なスケールのドラマに挑戦してみました。

戯曲としては突っ込みどころ満載。

##本文
宅間 この話自体はソポクレスが全部創作した戯曲なんですか。
坂口 昔からあった神話などから引っぱってきてるんです。この頃の戯曲は大概そうみたいですよ。
宅間 たとえば日本の神話で「天照大神が怒って岩戸に隠れて…」というような逸話があって、それをもとにお芝居に起こしたみたいな。
坂口 まあ、そういうことですね。
宅間 というのは、この劇が始まるまでの出来事のあらすじをわかった上で観ないといけないのか、わからなくてもいいのかまずひとつ思ったんです。
坂口 当時の人はある程度わかっているんでしょうね。
宅間 この戯曲は物語の途中から始まってますよね。
坂口 そうですね、お芝居が始まる時点では、もう父を殺し、母親と夫婦になってますね。オイディプス本人はそのことを知りませんが。そうしてだんだん事実がわかってくるという推理劇になってます。しかも推理をするのは被害者でもあり加害者でもある自分自身。それは画期的なつくりになっていると思います。なにしろ2500年前の作品ですからね。
宅間 話は、今までの中でダントツにおもしろかったかもしれない。ギリシャ神話としての話ということになっちゃうのかもしれないけど。ただ戯曲としてはいろいろツッコミどころが満載だったんですけど。
坂口 たとえば?
宅間 この話は予定調和で全部芝居になっているから、本当にそうだったら言わなきゃいいじゃん!ということを全部言ってるんですよね。一番最初に連れて来られた占師が、「ああ、私はこんなことは言えない」と言う。だったら来なきゃいいじゃねーか!と思う。なんで来たんだと。坂口 (笑)。当時の力関係からいうと、来たくないけど来ざるをえないというのはあったと思いますが・・・。
宅間 これは現代作家の腕の見せ所なんですよ。どうやって劇的にもっていくかというところが。そこのツメの甘さが作家という観点からいくと気になるところではあるんですけど。みんなそこをなんとかしたいんですよね。話は進めたいけど。今で言えば、人が話しているのを聞いちゃうとか。それを偶然聞いてしまったとか。そのために何かになりすまして騙して聞きだすとか。そういうのはなくて、ストレートに全部同じパターンなんですけど。2500年前のつくられた話なんですけどね。

もとの物語を知らない方が面白そう。

##本文
坂口 話を戻すと、オイディプスは相手の(オイディプスを思うがゆえの)煮え切らなさに怒るんだけど、その結果がすべて自分に降りかかってくるというドラマのつくりが上手だと思います。次から次に彼は正しいと思ってやっているわけだから、登場人物に悪い人が誰一人としていない。みんなが彼のため、国のために良かれと思ってやっていくことがどんどん悪い結果を生んで行く。悲劇のスパイラル状態というところが上手なのかなと思います。そのへんはドラマをつくっている方がみてどうですか。
宅間 観客が知っていることを前提にこれを見せてるとすると、どうなんですかね。
坂口 ある程度知ってるという理解でいいと思います。
宅間 知らない方がおもしろそうだなと思ったんですけど。目線としては、彼と同じ目線にすると途中やや混乱するぐらい話がうまくできてるから、それをちゃんと見極められるんだとしたら、関係性を知らないで実は自分のお妃だと思ってた人が母だったと知ったりとか、あのとき殺してるのは俺だ!と思う方が。そうすると怒っていても当然と言うか、あまりオイディプスに理不尽さを感じないだろうし。国を守るためなんだから、言わなきゃお前を殺すぞということになっても、ありと言えばあり。話を知っているとオイディプスが愚かに見えるんですよね。

野外で1万人の観客を前にして上演された。

坂口 やっている場所とか環境もすごいですね。 野外で一万人ぐらいの人が見ている場所で昼間やっています。しかも仮面をつけている。舞台にいる登場人物も彼になってからコロス以外は1人増えて3人になったんです。そういう制約の中でお芝居が進行していきます。
宅間 一万人? どうやって芝居してたんですか。
坂口 半円形のすり鉢型のスタジアムですね。劇場をつくるのにものすごく気を配って、一番後ろまで声が聞こえるようなつくりになっていたそうです。
宅間 だって一万人って武道館ですよ! 屋外で一万人でナマ声でやってたんだ。
坂口 しかも仮面をつけてね。
宅間 仮面をつけるというのはどういう効果?
坂口 昔のルールだから。
宅間 表情がわからないということですよね。
坂口 宗教的な儀式からお芝居はつながっていますからその流れだと思います。それと、役柄のパターンが仮面をつけた方が遠目にわかりやすい、というのもあるかもしれませんね。
宅間 演劇はすごいなあ。
坂口 2500年前にこれだけの環境があったというだけでもかなわないという感じがしたんですけど。
宅間 娯楽だったんですか。
坂口 そうですね。これ、コンテストにもなってるんです。三日間にわたっていくつかの劇をやって。市民が抽選で10人位選ばれて審査をして順位を決めていたそうで、イベント性はかなりあったんじゃないでしょうか。
宅間 利賀フェスティバルみたいなことはもう2500年前にあったんですね。
坂口 しかも国家的事業としてね。時代もいい時代だったらしいんですけどね。アテネがペルシャ戦争に勝ってお金もあり、市民にも勢いがあってという、タイミングがよかったのかもしれないですけど。
宅間 古代ギリシャの文化というのはすごかったんですね。オリンピックも発祥の地ですもんね。ものすごく成熟してたんですね。

よくできた悲劇の構図。

坂口 父親が子供のオイディプスを殺そうとしたときに、足のくるぶしを刺した“黄金の留金”で、またオイディプスが自分の目を刺す、しかもその留金は妻である母親が身につけていた、みたいな話も、上手な因縁話につくってますよね。父親が自分に対して使ったものを、また自分が使って落ちて行くという話ですから、とてつもなく悲惨な話ですよね。
宅間 彼にしてみれば何も悪いことしてないから。彼はよかれと思って…自分のお父さんを殺したくないし、お母さんと結ばれるなんて恐ろしいと思ってわざわざ土地を離れて、そのやさしさや当たり前の正義感が全部裏目に出ている。とてつもなくよくできている話だなと思うし、彼を生んでしまった父親が殺されるのは神託にそむいて殺されるのはある意味報いで。そっちの目線からみれば予言どおりの当然の報いかもしれないけど、彼はなんにも悪くないから。それがすごく悲劇としての構図で。最後が気になるんですけど。その後彼がどうなったのかというのは。
坂口 盲目の乞食になって放浪したとか。異説では、どこかの国の王様に庇護されてつつましい場所で生活して行くという話もあるそうです。
宅間 あまりにもかわいそうですね。今ふと思ったんですけど、この話は映画になってますね。『オイディプス王』としてはなってませんけど、このプロットでなってます。その映画が僕はとてつもなく好きなんですけど。『オールドボーイ』、韓国映画です。マンガが原作で、それが韓国で映画化されてるんですけど、まさに『オールドボーイ』です。ものすごく悲惨な話なんですけど、ものすごく大好きです。今、自分であえて話をしてて「あっ」と思ったんですけど。つくりというか、非常に似ていると思いました。やっぱり俺好きだったわ。結構賛否両論分かれるんです。というのはあまりに残酷な話なんです。そういう意味で当時の人々の心をぶち抜いたのかもしれないですね。すばらしいプロットだと思います。「戯曲」とは言わないですけど(笑)。でも2500年前ですもんね。その頃の戯曲がそのまま心を打ったらやばいですよね。2500年前の生活も何もかも違う感性がそのまま生きてたら。でもものすごい、現代でも通用するプロットだと思います。

■連載にあたって

演劇史に名を残すような人は、必ず過剰なエネルギーの持ち主 です。そしてその人と、その時代にふさわしい(それがたとえ不幸な出会いであっても)出会いがあります。東京セレソンデラックスの宅間孝行と演劇ぶっく編集長の坂口真人が、その時代、人と作品のエネルギーを現代に蘇らせるべく、弥次郎兵衛、喜多八を気取って、時代を逆向けに演劇の世界に旅立ちます。

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宅間孝行・右(東京セレソンデラックス)
たくまたかゆき○70年東京都出身。97年「東京セレソン」旗揚げ(01年「東京セレソンデラックス」と改名)。主宰を務めると同時に座付作家・演出家・俳優も兼ねる。映画、テレビなど映像分野でも脚本、監督、俳優として活躍。劇団は今年いっぱいで解散する。
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次回予定◇東京セレソンデラックス番外公演『ピリオド』
作・演出◇宅間孝行
4/3〜4/15◎中野ザ・ポケット

坂口真人・左(演劇ぶっく編集長)
さかぐちまさと○84年に演劇ぶっく社(現、株式会社えんぶ)を設立。雑誌「演劇ぶっく」を創刊、編集長に就任。以降ほぼ通年「演劇ぶっく」編集長を続けている。09年に演劇エンタテインメントサイト「演劇キック」を設立。

※この連載は演劇ぶっく139号(09/5発売)〜149号(11.1)にかけて掲載されたものです。
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